大判例

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東京高等裁判所 昭和30年(く)66号 決定

裁判は公平になされなければならないことは当然であつて、憲法、刑事訴訟法の諸規定を俟つまでもないところである。しかし憲法は、刑事々件においては被告人は公平な裁判所の裁判を受ける権利を有すると特に第三十七条第一項に規定を設け、刑事訴訟法には訴訟手続の面から所論のいわゆる起訴状一本主義その他の規定を設けていることは、洵に所論のとおりである。

しかして所論は、民事々件を審理判決した裁判官が、これと関連のある刑事々件を審理すれば、前者によつて得た心証を全く度外視して後者の刑事々件の審理に臨むことはできない。必ずその心証にとらわれこれに掣肘せられ勝ちとなるから、予断を抱かないで裁判することは絶対にできない。これは即ち事件につき予断を抱いて審理判決することとなり、憲法第三十七条第一項、刑事訴訟法第二百五十六条第六項に違反すると主張する。

なるほど単純に考えればそのように考えられないことはないかもしれない。もしそうだとすれば例えば犯罪事件を報道する新聞記事を読み、或はラジオを聞いた裁判官は或る結論を抱くかもしれないし、もしその裁判官がその刑事事件を審理判決すれば、いわゆる予断を以て裁判をしたということができるかもしれない。況んや関連した事件において心証を得て判決した裁判官が同一内容事項について審理するときは、前に得た心証が後の審理に影響する虞があると考えられるかもしれない。しかし刑事々件においては事実の認定は証拠によるのであつて、その証拠は必ず当該訴訟に現われた証拠に限るのであり、かつその証拠は刑事訴訟法に厳重な制約が規定されていて、証拠能力を有し、適法に証拠調をしたものに限られている。従つて裁判官はその職務執行に当つては証拠によらずして事実を判断したり、或はその訴訟に現われない資料、即ち法律上証拠となし得ない資料を任意に持ち来つてそれによつて事実を判断することは絶対に許されないのである。尤も証拠の証明力は裁判官の自由な判断に委ねられるのであるが、自由といつても決して裁判官の勝手気儘を許されているのではない。必ず経験上の法則論理条理の法則に従つて判断されなければならないのである。しかも裁判官が経験条理の法則に従つて証拠により心証を形成し事実を認定したとしても、判決書にはこれを認めた証拠の標目をすべて摘示することを要するのであるから、万一その摘示した証拠からはその事実を認定することが論理、経験の法則に照らし不合理であるときは、判決に理由のくいちがいがあるものとして絶対的控訴理由となり、又訴訟記録に現われた証拠を以てしては判決で認定された事実が認められないというような場合には、事実誤認の問題として之亦控訴理由となるのであるから、事実認定の衝に当る裁判官は、当該各事件についてその証拠の価値判断には深甚な探究と綿密な思考を払い、苟くも経験、論理の法則に違反するが如きことはできないのである。従つて他の事件の審理に当つた裁判官がそれと関連する事件を審理するに当り、仮りに前者の内容、経過、結果等を想起したとしても、前者において得た心証に左右されて当該事件において適法に取り調べた有力な証拠を無下に捨て去り、これを裁判官の脳裡から払拭して前者の心証に拘泥して必ずこれと同一の結果を現出するように故意に作為するということは到底考られないことである。従つて一つの訴訟において発表した裁判官の事実上の判断が、他の訴訟事件においてなすべき事実上の判断とその事項が関連し又は同一であつたとしても、前者における判断は後者に対し裁判官の職務執行における公平無私の心理状態を妨げるような虞はないと同時にこれを以て予断を抱いて審理するものということはできないといわなければならない。

以上のことは少しく法律を知り、裁判の実際を知るものにおいては当然熟知されているところのことである。しかし裁判はあくまで公平であることを要するは絶対の要請であるから、苟くもいささかでも公平無私を傷ける虞があるとの疑惑の念を抱かせるような事情がある場合には務めて当該事件の職務を執行する裁判官は同一人であることを避けるのが望ましいことには相違ないが、さりとて同一の裁判官が審理したからとて直ちに、所論のように予断を以て公平でない審理をなす虞がある場合に該当するということができないことは前段説明のとおりである。(況んや所論民事々件は小沢裁判官が単独裁判官として審理判決をしたものであり、本件刑事々件は同裁判官が裁判長として合議体において審理していることは前記のとおりであるからである。)

一体不公平な裁判をする虞があるときとは、裁判官が不公平な裁判をするであらうとの不信的推測をいうのであるが、かかる推測は忌避申立人自身の立場からの主観的の単なる考えとか、念慮によつて決めるものではなく、諸般の事情を総合判断して客観的に一般の通念に照らし理智的に是認し得るような場合においてのみその虞があるとなすべきである。しかるに本件においては、前記のように抗告人の弁護人として五名の弁護士が各公判期日に出頭しており、検察官の請求による証拠調が漸くその緒についたばかりであり、抗告人側は未だ何等の証拠の取調請求の段階にも達していないことは記録上明らかである。もし裁判長が検察官側の証拠取調の請求のみを許容して抗告人側の請求を理由なく却下したとか若しくは審理の過程において抗告人側に対し不利益な訴訟指揮をなしたとか等の事情でもあるならば格別、之等の事情があるとは記録上認められないのみならず、記録を精査するも従来までの審理過程において不公平な裁判を疑わしめるような虞のある点は毫も発見することを得ない。しからば抗告人は所論裁判官に対し漫然不信的推測をなしたものというべく、もし然らずとすれば本件忌避申立の理由の奈辺に存するや明瞭でない。

以上の理由によつて前記裁判官が本件の審理に関与したことを以て憲法並びに刑事訴訟法の規定に違反するものということはできないと共に同裁判官に刑事訴訟法第二十一条に規定する忌避の原因である不公平な裁判をなす虞があるということはできない。

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